喪主を務めて学んだこと

数年前祖母の葬式の喪主を務めました。本来父が喪主を務める立場にあったのですが、訳あって私がやることになりました。私としては、自分は孫であるし、親である祖母のおくり方は子である叔母や叔父が決めるものであるとの意識があったのですが、叔母や叔父は何を聞いても最後は「任せる」言いました。「自分の親をおくるというのに、なぜ何も意見がないのだろう」納得のいかない気持ちと怒りがわいてきたのを覚えています。しかし、こんな気持ちで祖母をおくるのも申し訳ないと思い、自分なりに精一杯考えながら斎場に連絡をし、通夜、火葬、葬儀の段取りを決め、進めていきました。すると案の定、叔母や叔父からは、「こうしたほうがいい」とか「こうするのが普通だ」ということを言われました。「だったら自分らでやればいいじゃん!」私はさらに怒りがわいてきました。本当は静かに、穏やかに、祖母をおくりたかったのに、そんな気持ちにはなかなかなれませんでした。
こんな経験から、同じ親族だといっても考えはみんなバラバラなのだから、何を言われても自分で決めて、周りの言うことは無視するようにしよう。むしろ、故人の性格や気持ちを考えて葬儀を執り行うようにしようと思いました。今度私は父がなくなれば喪主として葬儀を行うことになりますが、誰になんと言われようと、父の気持ちを第一に考えた葬儀を行おうと思っています。誰かの意見を聴いたりすると、最終的には自分が後悔するし、故人にも申し訳がない。私は祖母の葬儀の喪主を務めた経験からこのようなことを学びました。