長寿を愛でるはずが、寂しい家族葬に

母が、93歳で我が人生の幕を下ろしました。一時帰国した台湾の警察官だった父と初めて出会い、翌日には、結婚式。その次の日には、父と一緒に台湾に向かう船の中という、波瀾万丈の93年の人生を終えました。喜寿、傘寿、米寿、卒寿と、元気に年齢を重ねてのお別れでした。しかし、いざ葬儀となると、母の相談相手であり、愚痴のこぼし所であった大の親友は、早々に、この世を去っていました。親戚のようなご近所のAさんも、すでにあちらの人です。夕飯時には「これ食べてえ」と駆け込んできたお隣のBさんも、昨年が、13回忌でした。
つまり、寝屋川で葬儀場を借りて家族葬の会場は準備したものの、参列する人が、いないのです。AさんやBさんの息子さんは、参列されたものの母と直接親交があったわけではなく、いわば義理です。それに、母の兄妹もすでに他界し、会葬する親戚ですら2,3人でした。さらに、郷里を離れているため、高齢で移動もままならない状態の親戚もあって、本当に、家族と数人の長寿を愛でる葬儀が、本当に寂しい葬儀になりました。